インドア海洋生物 エイ

インドア生活をこよなく愛する、インドア海洋生物エイのインドアブログです。

「働けなくても、生きてていいんだよ」って、BookOffの本が言ってたぜ?

エイです。

ブックオフの一番上の棚の本に手が届かず、脚立もないから別の本で欲しい本の下部を攻撃して傾けたところ、せっかく傾いたのにその出っ張った部分にすら手が届かず、無言で帰ったことでおなじみのエイです。

 

あれから若干の切なさと悔しさを胸に抱きつつ通い続けていた自宅近くのブックオフ

今日初めて、元気付けられる言葉をもらいました。

それが、「働けなくても、生きてていんだよ」です。

 

名前は忘れちゃったけど、「あの」本

タイトルをメモしておけばよかったのに、うっかりそのまま帰ってしまったがために、書名は思い出せません。

確か、「ニートの生き方」的な本で、ビジネスの棚に置いてありました。

緑色の表紙だったかな、と思います。

 

余談ですが、私は「ビジネス」という単語と「緑色」が苦手です。

それというのは、働き場所をミスった経験と、その場所が緑だらけの場所だったから、という2つの理由があったからです。

以来、「ビジネス」「売り上げ」の他、数字がいっぱいの物を見ると、「ふえぇ」と逃げ出しますし、人工物的な緑色を見ると「ひぇえ」と目を背ける始末です。

 

言ってみれば、この本は苦手の塊みたいなものでした。ビジュアル的には。

じゃぁなんで手にとったのか。

実は1ヶ月のうち2週間ほど不調で沈み込む私には、必ず1ヶ月に3〜5日ほどめちゃくちゃ調子のいい日があるのです。

 

それが今日でした。

 

ニートの生き方とかwwわしやんwww」と軽い気持ちで手に取りました。

 

ざっと目次に目を通して、そこに「感覚を大事にしよう」なんて甘い言葉が書いてありました。

そりゃ飛びつきます。

で、みてみました。

 

覚えてる限りだと、大体こんなことが書いてありました。

 

「普通に働くっていうのは、大半のそれができる人にとっての常識だ。適性がない人には、それはできないことだ。そういう人は、いろんな人にあって、いろんなところに行って、いろんなことをしてみるしかない。僕だって、今の生活に落ち着いたのは30近くになってからさ」

 

大体こんな感じ。

おぉ・・・・・・いや、怒られるぞw真面目に働いている人にwww

と、思いました。正直。

 

しかし、「適性がない人にはできない」というのには、納得する部分がありました。

なんでって?

私がその一人だからです(今のところは)。

 

1ヶ月に2週間も(それも連日で)動けなくなる、休暇をとらなくちゃいけない、という人間は、会社ではなかなか雇ってもらえません。

(実際、半分はクビになったようなもんですし、おすし)

 

日雇いバイトをするにしても、「ビジネス」ワードが前面NGの上に数字もアカンとなっちゃぁどうしようもない

(時間が解決してくれるまで、待つしかないですね)

 

だけど、やっぱり「まともに働いて、給料を稼がなくちゃ」という気持ちでいつも焦りを抱えています。

「働かざる物食うべかざる」という刷り込みは、もはや呪いの言葉です。

 

だから、できないのは仕方がない、できる方法で生き方を探そう、という言葉は、ちょっとした救いになったんです。

(あと、何気に「30くらいで生活が落ち着く」という希望も見えてきましたしw)

 

色々極論もたくさん載っていたし、人によっては「何をぉっ!?」となる部分もあるようなタイプの本でしたが、一方で、案外簡単に救われてしまう人間もいたようです。

私みたいにねw

 

「働けなくても、生きてていい」→「働かなかろうが、生きててよ」

「遊んで暮しているようなニートはずるい!」と言う方もいらっしゃるかもしれません。

誰が生活保護の税金払っとんじゃ!! とか。

お前らばっかり楽すんじゃねぇぞ!! とか。

 

ご安心ください。そんなみなさま。

この本を読んだからこそ、思いついたことですが、多分、「ニート」はちゃんと貢献していて、それなりに苦しく生活していると思います。

案外、苦労や不幸の総量を足したら、そう変わりないかもしれません。

 

お金を稼ぐ、という点では、確かに偏りが出ます。

確かに、働く能力が高かく、責任感が強く、体が丈夫で、たくさん働ける人がたくさんいます。

 

一方で、「働く」という方向では苦手でも、頑張りすぎる誰かを支える能力が高い人もたくさんいらっしゃるでしょう。

見返り目的を振り捨てて、支え続ける強さは並大抵のものじゃありません。

(家事ができる人、誰かを愛せる人、美味しい食事を提案できる人、哲学に詳しい人、などなど。頑張る気力の栄養源になります)

 

自由奔放だからこそ、新しい何かを発見し、広めることができる人もいらっしゃるでしょう。

だからこそ、自由にまとわりつく責任の重さは計り知れません。会社のように守ってくれる存在はないのですから。

(Youtuber、Tiktokの動画、Twitter,SNSで素敵な何かを発信できる方々は、本当に尊敬しています。あと、何よりお世話になっています。)

 

体が弱くても、だからこそ、痛みをたくさん知ることができ、人の傷を癒すことができる人も少なくないはずです。

たとえその人の傷から自分も傷つくことになっても、寄り添うことのできる人はどれほど勇敢な人なんでしょう。

(spoonラジオなど、コミュニケーション 系のSNSでは、びっくりするほど聞き上手な方がいらっしゃいます。twitterでも、誰かを励ます素敵な言葉を見つけます。)

 

稼ぐお金にかかわらず、誰も彼も、必要な人々です。

そこにいるだけで、必要ですよね。

(実際問題、助けられてますし。助けられていない人なんて、いないんじゃないかレベルです)

 

もっと小さな、お隣さんレベルの話でもいいんです。

 

極端な話、自分が今日、その道を歩いたおかげで救われた人がいるかもしれないんです。

それくらい、この世界って、緻密にできています。

 

 

・・・・・・・結論がどっか飛んで行きました。

難しく考えすぎたかな・・・・・・えーっと、ですね、つまり・・・・・・。

 

「働けなくても、生きていいんだよ」というか、

「働けなかろうと、(働くのと同じかそれ以上に誰かのためになっているのだから)生きてる価値は十分すぎるくらいにあるんだよ、だから私のためにも、生きててよね。私もあんたのために生きるから」

ってことですかね。

 

うん、そゆこと。

これだね。

 

もし、「もうだめだ、この世界じゃ生きていけない」「来世に期待しよう」

という方がいたらちょっと待ったです!!

 

私があんたのために生きるんで、あんたも私のために生きてくださいよ!!

 

 

もう眠くなってきてしまったので、今日はこれまで。

珍しく真面目なことを長々書いてしまいました。

もし次ブックオフに行った時、同じ本があったら買おうと思います。

何しろ、タイトルが思い出せない物ですから・・・・・・棚の並びが変わってませんように! あ、あとまだ買われてませんように!

 

というわけで、おやすみなさい。

エイでした。