インドア海洋生物 エイ

インドア生活をこよなく愛する、インドア海洋生物エイのインドアブログです。

【私がやめたこと】存在しない「普通」を求めて、頑張ること

自分は普通じゃない、というと、中二病的な封印されし力を秘めた選ばれた勇者。

・・・的なのを想像しますが、そんな楽しいもんじゃありませんでした。

 

私の場合の「普通じゃない」とは、特別にすらなれない、残念な方の普通じゃない、でした。

 

「繊細さん」「HSP」「いろんな障害の要素のミックス」。

 

それが私でした。

 

「普通じゃない」ちびっこエイ

 

例えば、自分と関係ない子供が叱られているのを見て、泣き出したりとかしたのか、ちびっこの私です。

 

「エイちゃんのことじゃないんですけどねぇ・・・」

 

と先生もポカン顔。

 

他にも、無性に気になったり不安になることがあると、頑固に言うことを聞かなくなったり。

 

これがまた、しょうもないことなんです!

 

例えば、そこらの銭湯で配っているような、やっすいタオルを出先でなくしたとか。

たまたまいた客が、やたらこっちを見ている気がしたとか。

 

そんな理由で、延々とタオルを探して泣きわめいたり、怖くて店に近寄れなくなったりしたんです。

 

 

しかも、集団行動はメチャクチャ苦手。

 

5日間の修学旅行の後半では、奇行を繰り返すし、たった三日間の卒業旅行(しかも三人だけ!)で、大喧嘩をする始末。

 

友達とでかけても、気づくとふらっとよそにいる。

 

というか、そもそもクラスでのポジション取りも苦手。

大人数で話す場だと、誰に気を配ったらいいのかわからず、発言のタイミングもわからなくて気づいたら電池切れしていたり。

 

ちびっこのエイは考えました。

 

まずいぞ。

 

このままだと、ろくな大人にならない。

 

というか、なれない。

 

泣かない強い心と、周囲に溶け込める協調性を手に入れなければ。

 

かくして、幼いエイの「普通」への奮闘が始まったのです。

 

「普通」を見て、研究して、試して、鍛えまくった学生時代

学生時代にとにかく頑張ったのは、「普通」と言われる子たちの観察です。

 

帰りに校則を破って、寄り道するのが普通なら、同じように寄り道をしました。

……本当は書きたい小説があったけど。

 

友達と一緒に食事をするのが普通なら、どうにか一人にならないように頑張りました。

……一人飯のほうが落ち着くけど。

 

部活で合宿に行くのが普通なら、参加表には丸を書きました。

……お泊り嫌いだけど。

 

恋人を作るのが普通なら、告白を受けて、お付き合いをしました。

……恋自体、理解できなかったけど。

 

他にもあります。

ファッション、遊ぶ場所、話題、話し方、スラング、などなどなど。

他の人が聞いて、「いいね」「それな」「だよね」というような価値観に、近づける努力をしました。

 

大学もそこそこのところに入ることができ、友達もそこそこに、順風満帆でした。

 

いける! これなら、どうにか就職できる! 「普通」のおとなになれる!

「普通」の人生を歩める……!!

 

そして就職、「一人暮らし」という、社会人の「普通」の一つを手に入れました。

「安定した収入」という、「普通」を手に入れました。

他にも、「制服」「出勤」「飲み会」「自炊」・・・。

 

あぁ、すばらしきかな、「普通」の日々!!

 

しかし、突如として、「普通」の日々は長くは続きませんでした。

就職して3ヶ月後、青ざめきった真っ白い顔で、実家に回収されました。

仮初の「普通」は、終わりを告げたのです。

 

仮初の「普通」はもろかったorz

廃人同然のエイにくだされた診断は、以下のようなものでした。

 

適応障害(環境が合わないとなる精神疾患

・重度のPMS(メンタルに来るタイプの生理前症候群)

潰瘍性大腸炎(難病。完治方法なし)

・軽度のPTSD(戦争に行った人とかがなる精神疾患

HSP?(検査はしていないものの、何らかの障害のミックスの可能性アリ)

 

健康番組ですか、というほどの漢字・アルファベットの羅列。

 

もう精根尽き果てていました。

ここでようやく、自覚したんです。

私は「普通」じゃない。

「普通」になれない。

それが、私、エイという人間なのだと。

 

で、終わると思うじゃん??

 

終わらないんだなぁ~~~~~~~~!!!

 

なぜか!

そう!

「普通」を求めていたのは、私だけではなかったからです!

 

家族やメンタルクリニックの医師、友人(というよりかつてのクラスメイト、世間の目?)もまた、「普通」に私が「戻るように」望みます。

 

「大丈夫、あなたは普通だよ」

「変じゃないよ」

「大きな障害はないよ」

「ゆっくり休めば、よくなるよ」

 

今なら、こんな顔→(´・ω・`)で、こう言いたいです。

 

普通になれないのに、普通って言わないでおくれよ

だって、普通って、存在しないんだからさ

 

「普通」の消滅、それが、本当にやめるきっかけ

ところで、日本人の顔の平均値をとると、どんな顔になるか、知ってますか?

実は、メチャクチャイケメン、あるいは美女になるらしいんです。

 

もし、世間でいうところの「普通の顔」が人々の平均値を指すとしたら。

世の中の人間、橋本環奈で吉沢亮じゃなくちゃいけないことになるんです。

(例に出してすみません)

 

「よくある」「ありふれた」と、私たちが考えているものは、実はとてつもなくハードルの高い、神様レベルのものなのかもしれません。

 

そりゃ神様になろうとすれば、死にかけます。

『まどか☆マ〇カ』の鹿目ま〇かも、『仮〇ライダー鎧武』の葛〇紘汰も、神様になるために死にかけました。

そして、どちらもこの世には存在できなくなりました。

 

「存在しない存在」、それが「普通」

「普通」って、存在してません。

 

みんな、何かしらの何かです。

 

障害の要素みたいなものを、何も持っていない方が珍しいくらいです。

 

存在するのは、「自分は普通だ」と信じている人。

そして、かつての私のように、「自分は普通じゃないから普通にならなきゃ」と考えている人だけです。

 

もし、かつての私と同じように、「普通でいなきゃ」「普通にならなきゃ」と考えている方がいらっしゃったら、一度、一人きりで出かけてみてください。

 

そして、周囲の人を見て、「普通の人」を探してみてください。

多分、見つかりません。

 

見つかったとして、その人になりたいかも考えてみてください。

多分、なりたくないと思います。

その人もまた、「普通」じゃないからです。

 

みんな、普通より何かしら、何か気になるところがあるはずです。

 

何にもないけど、やっとスタート地点

 

今私は、フリーで働きながら、休養中の身です。

 

収入は前よりずっと少なくなり、働ける時間も少なくなりました。

社会的身分はないに等しく、同僚も上司もいません。

 

一人でパソコンに向かうとき、そこに「普通」はいません。

 

私が一人いて、こうして文章を書き綴っているだけです。

 

働いていた時みたいに、毎日カラオケ三昧、なんてできません。

夜更かしもできないし。

一日で会う人も、ぐっと少なくなりました。

遊ぶ頻度も減りました。

 

だけど、すべてが終わりに向かっていた「普通(仮)」の社会人時代と比べると、ずっと視界が広いです。

 

赤ん坊でいうなら、ようやく両足で立ったくらいの感覚です。

 

私にとって、学校も、勤めていた会社も、小さなゆりかごの世界だったようです。

食ってはいける、学ぶこともある。

 

だけど、何も始まらない。

誰かがゆりかごを運んだり、揺らしたりしてくれなきゃ、動かない世界。

そりゃ狭いはずだ。

 

ゆりかごで眠り続ければ、周りの人たちにも迷惑はかからない。

でも、だれを助けることもできないし、動くこともできない。

 

まだハイハイか、よちよち歩き程度の私ですが、少しずつ、始めてみたいと思います。

できることを知って、やれることを増やして、生きていけたらと思います。

 

いつか出会う皆様へ、迷惑をかけるごめんなさいと、助けてくださるありがとうを、贈ります。

 

それでは、また次回お会いしましょう。

お相手は、エイでした。