写真から「視えてる」景色
最近、趣味で写真を撮り始めました。
今の季節は桜ですよね。
私も桜の写真をついつい撮ってしまいます。春は桜、夏は海、秋は紅葉、冬は雪。
……と言い切ってしまうのは乱暴かもしれませんが笑
つい先日、学生時代の先輩と、写真の話題になったとき、お互いの桜の写真を交換したんです。
先輩が撮影したのは、川になだれ込むように咲き誇った、滝のような見事な桜です。
曇り空が、かえって迫力を増しているようにも視えました。
写真の両端が高いビルに囲まれているのもあって、すべてのものが、川になだれこんでいく感じがしました。
一方、私が撮影したのは、民家に咲いた一輪の桜の花を、大写しにしたものです。
花びらが綺麗に星型をかたどっていて、ついドアップで撮ってしまいました。
同じ桜の写真といえど、まったくもって別物の写真です。
理由はわかっています。
というのも、私はモノをまじまじと、ドアップで見たり撮ったりするのが好きなんで
す。
美味しいケーキや珍しいお菓子なんかを食べるときは、一口ごとにフォークに挿して、360度にぐるぐる回しながら、いろんな角度で眺めて食べます。
食事の写真は、もはやそれが何なのかわからないくらいアップで撮ります。
ケーキの断面とか、ジュースのグラスの汗とか、そういうのを撮ります。
すると、自然、写真のフォルダーはアップの写真だらけ。
ちなみにこの先輩はとても優しい方だったので、「きれいな写真を撮るね」と褒めてくださいましたが、悪友なんかにうっかり見せると、「近くない?ww」と吹き出します。
私もそう思います。後から見て、「近すぎてなにかわからんw」と一人笑っています。
写真というのは、その人の視線、好み、視界を映し出すのだと、最近になって気づきました。
それまで、写真=景色を写し取ったもの=作品として成り立つのか?
と、写真家さん、およびカメラに対して随分失礼なことを考えていましたが、実際に撮ってみてわかることも、あるものですね。
お見合いの写真や、自己紹介代わりの写真を渡すときは、自分で撮る(いわゆるセルフィーってやつです)、あるいは、自分が一番美しいと思うものにするというのは、こういった意味では正解なのかもしれません。
自分の価値観、視界、自己評価、というものを、映し出してくれることでしょう。
(単なる顔の好み云々なら、一番安い駅前の証明写真機で充分です)
そういえば、あまり自分の写真は撮ったことがありません。
たまには撮ってみようかしら……。